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国名  ネパール連邦民主共和国
 首都 カトマンズ
 国花 シャクナゲ
 面積  147,181平方キロメートル
人口 29,331,000人
人口密度 209.65人/平方キロ
 通貨 ネパール・ルピー(NPR)
 公用語 ネパール語
 時間帯  UTC +5:45
国際電話番号 977

地理

国土は北緯26~30度/東経80~88度、日本だと種子島・屋久島あたりから沖縄本島付近にあたります。面積は日本の4分の1ほど。しかし標高8,848mから70mまでという世界最大級の高度差を含んでいます。

高い場所は気温が低くなるため、登山家、探検家、クライマーを誘う標高8,000~6,000m台の高山がある場所は極地性気候です。一方で、象やサイのいるタライ平原は亜熱帯性気候。このように地理、気候的に世界でもひじょうに特殊です。

チベット高原と境界をなしている総延長約2,400kmといわれるグレートヒマラヤ山脈。その核心部分を占めるのはネパールです。ヒマラヤに降った雪や雨は山岳氷河や急な川となります。その源流はときにヒマラヤ山脈の背後であるチベット側に存在し、ヒマラヤ山脈を切り裂いてネパール側へと流れ込んでいます。長い年月のあいだに水は山を削り、急峻な斜面を作り出しています。

山から流れてきた水は合流によって太くなり、カルナリ川・ナラヤニ川・コシ川という3大河川となって、インドでガンジス川へ合流しています。

首都があるカトマンズ盆地(標高=約1,400m)。大昔、ここには大きな湖があり、のちに湖が干上がってできた場所と言われています。栄養分が肥沃な土は作物の生育に適し、現在でも郊外には畑がたくさん見られます。

標高の低い地方を見てみると、かつてはマラリアが蔓延していた(現在は撲滅)という「タライ平原」があり、野生動物に出会えるチトワン国立公園、クリシュナ自然保護区、スクラファンタ野生動物保護区などの見どころある区域を持っています。

ネパールには、東西に平行して3本の山脈が走っています。南からシワリーク丘陵(稜線=平均標高1,200m)、マハバラート山脈(標高3,000m以上)、グレートヒマラヤ山脈(標高6,000~8,000m台)です。

隣国の脅威からネパールを守ってきたのは、幾重にも重なる山脈や深い渓谷でした。

山国ネパールとグレートヒマラヤ山脈

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ネパール

南アジアの共和制国家。2008年に王制廃止。
東、西、南の三方をインドに、北方を中国チベット自治区に接する西北から東南方向に細長い内陸国である。
国土は世界最高地点エベレスト(サガルマタ)を含むヒマラヤ山脈および中央部丘陵地帯と、南部のタライ平原から成る。
ヒマラヤ登山の玄関口としての役割を果たしている。
多民族・多言語国家(インド・アーリア系の民族と、チベット・ミャンマー系民族)であり、民族とカーストが複雑に関係し合っている。また、宗教もヒンドゥー教(元国教)、仏教、アニミズム等とその習合が混在する。
経済的には後発開発途上国である。
農業を主たる産業とする。ヒマラヤ観光などの観光業も盛んである。

動物・植物


ネパールの動物・植物のご紹介を予定しています。

歴史

旧石器時代から人が棲みつき、インド・中国など大国の伝記のなかに描かれた伝承の時代。

いくつもの王朝が交代し、隣国とのバランスを取りながら国としてのアイデンティティを確立し、独自の芸術・文化を醸成させて来た古代・中世。

そして領土拡大の試みとその失敗に始まり、しかし封建制から民主主義へ歩み出した近代。


モンゴロイド系先住民族がうち建てたとされる、伝説のキラータ王朝(紀元前7世紀〜西暦1〜3世紀)。ネパール渓谷のはじめての王朝がインドのヴェーダ(宗教的文献集)に記述されています。

伝説では32代の王を出したキラータ王朝も最後はアーリヤ人の侵入を許してしまいます。キラータを東方へと追いやり、彼らはリッチャビ王朝(西暦350〜630年)を始めます。これもまた歴史的な記録ではなく、一部の伝記から拾いあげられた物語。ただ、北のチベットとは文化・経済・政治的に親密な関係をもち、宗教や商業のハブとして繁栄したとも記述されています。

現在は西ネパールに幅広く分布するタクール族。彼らの祖が興したタクール王朝(西暦630〜1200年)の初代の王、アムシュワルマンは在来種族ネワール族の高度な文化を取り入れて国を発展させました。またチベット(当時の国名は「吐蕃」)初の統一王国を樹立した王、ソンツェン・ガンポに愛娘を嫁がせています。ソンツェン・ガンポは中国(当時は「唐」)の皇帝からも娘をもらって妃としています。

1200年頃、アバーラ・マッラ王がタクール王朝を倒し、独自のネパール美術・文化を発展させたマッラ王朝(西暦1200〜1769年)をうち建てます。最初は少し混乱がありましたが、二代目の王から法と秩序が取り戻されていきます。15世紀、カトマンズ・バドガオン・パタン三王国並立の時代を迎えると、競い合って凝った宮殿・寺院を建設。その多くは現存し、世界遺産に指定されました。石・木・金などの細工/彫刻はさかんになり、技術の円熟期が到来しました。

ゴルカ族が中心となって諸々の土着民族が組み、小王国への分散で弱体化していたマッラ王朝を打ち倒し、シャハ王朝(西暦1769〜2008年)を建てます。ゴルカ族は東西南北へと領土拡大を試み戦を仕掛けました。一進一退の末、戦った相手のイギリスの東インド会社や清国との間に今日の国境線の原型となる取り決めができました。勝利したイギリスからはネパール軍兵士の勇猛さを認められ、栄えある「イギリス国王陛下直属のグルカ兵」として現在でも勇敢な兵士たちを送り出しています。

この王朝最後の約100年間は、宰相だったラナ家が専制(世襲制)執権政治を行ないました。

2008年5月28日にネパールは王制を廃止、連邦民主共和制国家という新たな国としてのスタートを切りました。

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■ エリア紹介

カンチェンジュンガ
マカルー・バルン
ソル・クンブー
上記以外にも個性的なエリアがまだまだあり、今後紹介していきます。

■ パーミッション関係

国立公園入園料、トレッキング許可申請料、高峰登山のロイヤリティなどの解説。

■ 交通手段

国内線飛行機、ローカルバス、ジープ車両など、アクセスの解説。

■ ヒマラヤ山名鑑

ヒマラヤの山を一座ずつ紹介。

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■ ネパールとは

■ 観光ビザと入国手順

ネパールに入国するため必要なビザ。入手方法と入国の流れ。

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■ 旅の費用

サービス料金の解説。お金について。

■ 旅の適期とヒマラヤの天気

モンスーン気候、雨季と乾季。おさらいしよう。

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■ トレッキングスタイル

予算、希望、こだわりで決める。

■ 旅の道具、山装備

ヒマラヤでの旅、町で必要になるアイテム。

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